こんな悩みを解決! 「半導体指数SOXがNISAのランキング上位にあって気になる!!」
「SOXLという半導体指数の3倍ブルETFが熱いって本当?」
「半導体ってそもそも何なの?」
「半導体の歴史、その重要性を理解したい!」
「半導体はどうやって量産できるようになったの?」
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「半導体はどうやって量産できるようになったの?」
米国株の時代は終わった!
これからは半導体セクターが熱い!
2024年から始まった新NISAでは、
「全世界株式」を買うべき!
様々な情報が飛び交いますが、
まずは、投資対象とする国や分野について学ぶべきです。
この記事ではほぼ全ての電子機器に搭載されている、
半導体がどのようにして大量生産できるようになったのか?
その歴史や革新的な技術開発について、
「半導体戦争」を参考にお伝えします。
「必ず儲かる投資はありません!」
「投資はリスクを伴います!」
「リスク許容度の範囲内で、自己責任で慎重に行いましょう!」
半導体の大躍進!!
2022年11月にOpenAI者からChat-GPTが登場しました。
Chat-GPTに触ったことで、まだまだ先の話だと思っていた、
人工知能の性能がかなり高いことを、実感した人も多いと思います。
そのときから、人工知能の機械学習に使われる半導体を作る、
NVIDIAの株価が上がり続けています。
また、半導体関連銘柄に3倍レバレッジを書けたSOXLというETFも
SNSなどで話題に上がることが増えています。
私自身、資産の一部をSOXLで運用しています。
しかし、半導体の歴史や業界の成り立ちについて、
あまりよく理解していないことが気持ち悪くなってきたので、
「半導体戦争」を読み、学ぶことにしました。
この記事では「半導体戦争」を読んで私が学んだことを、
まずはざくっと紹介していきます。
特に、半導体はどうやって大量生産されるようになったのか?
簡単にまとめてみました!!
半導体の量産
半導体はシリコンウェハといわれる円形の基板の上に、
電子回路を細かく印刷し、それぞれ細かく切り離すことで生産されます。
分かりやすくするために、ホールケーキをイメージしましょう。
ホールケーキの上に、イチゴを1つおいて切り分けると、
それが1つのショートケーキとして商品になります。
なるべく多くのイチゴを並べて、小さく切り分けると、
1つのホールケーキから、
たくさんのショートケーキ(商品)が生まれます。
半導体も同じで、1枚のシリコンウェハから、
どれだけたくさんのチップを切り出せるかが、
量産化の鍵を握るのです。
ここでケーキと半導体の違いは何かというと、
半導体は実物のイチゴではなくて、印刷したイチゴで良いのです。
より小さく、精密にイチゴをウェハ上に描く技術が求められます。
そんな技術、私たちの身の回りにありますよね?
コンビニや会社に行けば必ず目にします。
そう、「印刷機」です。
PC上で大きな図を描いても、印刷機を使えば好きなサイズに
縮小してプリントアウトすることができますよね。
1957年に革命が起こります!
この印刷の技術と顕微鏡のレンズ、フォトレジストという薬品、
これらを組み合わせることで、「フォトリソグラフィ」という、
電子回路をシリコンウェハ上に微細に描く技術が開発されました。
この発明を行ったのは、テキサス・インスツルメンツの
ジェイ・ラスロップという技術者です。
この発明により、高さ0.01 mm, 直径2.5 mmという、
これまでは考えられないくらい、微細なトランジスタの作製に成功しました。
この発明によって、半導体の量産化は大きく進んだのです。
この「フォトリソグラフィ」の発明者ジェイ・ラスロップと同時期に、
テキサス・インスツルメンツにモリス・チャンという技術者がやってきました。
「モリス・チャン」こそが、後のTSMCの創業者です。
テキサス・インスツルメンツの競合、
フェアチャイルドセミコンダクターでは、
ノイスとムーアも同じ量産化の悩みを抱えていました。
フォトリソグラフィの発明を知ると、技術を導入し、
フェアチャイルドに加わったアンディ・グローブを筆頭とした
生産技術者の手によって半導体の量産技術が確立されました。
民間市場の開拓
量産技術が確立された半導体ですが、次の課題は、
その半導体を誰に売り込むか?になってきます。
1960年代はその市場を探す時代となりました。
2024年に生きる私たちは、その答えを知っています。
パソコン、スマートフォン、スマートウォッチ、
ありとあらゆる家電製品に半導体が使われています。
スマートフォンには約50個の半導体が使われています。
そしてなんと、電気自動車には3000個以上もの、
半導体が組み込まれています。
現在では、大量に安く作れるようになったため、
このように大量の半導体を使ってデバイスを作り上げています。
しかし、1960年代の課題は、半導体を安く大量に作ることでした。
1960年代の半導体の主な市場は米軍とNASAでした。
どちらも安全保障に関わるため、金に糸目はつけません。
しかし、一般消費者はお金に厳しいのです。
便利なのは当たり前、安くて便利じゃないと買いません。
しかし民間市場というのは魅力的です。
軍事費、防衛費はどれだけ大きくてもGDPの10%程度です。
民間市場を開拓することができれば、大きく売り上げを伸ばせます。
ここで、フェアチャイルドは大きな賭けにでました。
当時20ドルで売っていたチップの価格を、
なんと十分の一の2ドルまで引き下げたのです。
これによって、フェアチャイルドは民間企業と、
大口の契約を結ぶことにこぎ着けたのです。
そのメインが、当時登場したコンピューター用途です。
ノイスの英断により値下げを断行したフェアチャイルドは、
コンピューター市場の8割のシェアを独占することに成功しました。
並行して、この最先端のコンピューターを使って、
NASAが人類初の月面着陸の準備を進める横で、
半導体には新しい用途、新しい市場が発見されたのでした!
半導体のグローバル化
半導体トランジスタの誕生は、科学的原理の提唱、
実証実験などは、主に男性たちによって成し遂げられました。
しかし、その後の大量生産を支えたのは、
組み立て工場で働いていた女性たちでした。
その理由には、女性の方が賃金が安く、安価に半導体を作れたことがあります。
また、女性の小さな手の方が、小さな半導体の組み立てや、
性能テスト作業に向いていると考えられたからです。
「半導体をとにかく安く大量に作る!」ため、フェアチャイルドや、
テキサス・インスツルメンツ、モトローラといった企業は、
香港、台湾、韓国の安い労働力に目をつけました。
先進国が発展途上国の安い労働力を使う構図は、
はるか昔から現代まで、一切変わっていません。
大量生産を実現するために、半導体の組み立てをアジアで行いましたが、
アジアにおける人件費は1960年代において、アメリカの十分の一でした。
さらに、シンガポール、マレーシアに展開して、
半導体ビジネスは他の業界に先駆けて、
グローバル化の道を歩き出したのです。
シリコンウェハは世界中を駆け巡り、前工程、後工程や検査を経て、
最終的に製品へと組み込まれていきます。
このように複雑な関係が政治、経済のバランスと深く絡みあい、
「半導体戦争」と呼ばれる状況が作り上げられていったのです。
海外へのアウトソーシングをオフショアリングと呼びますが、
アメリカのシリコンバレーで誕生した半導体ビジネスは、
広くアジアへとオフショアリングされて行きました。
この流れと並行して、米とアジア間の連携関係が強化されていくのです。
半導体工場がある地域は、米国にとって守るべきポイントである。
こういった理論が生まれていきました。
実際に韓国、台湾、フィリピンの半導体組み立て工場は、
米軍の海外拠点とよく一致します。
中国が虎視眈々と狙う台湾にはAppleやNVIDIAの設計した半導体を製造する、
世界でただ1つの企業TSMCが存在します。
有事の際にアメリカは台湾、TSMCを守るのか?
未来は誰にも分かりませんが、手放しで何もしないことだけはないでしょう。
半導体設計の革命
1970年代、半導体の設計に革命が起こりました。
その前に、驚くべきこととして、
実はときまで半導体の図面は人の手によって、
定規と色鉛筆で描かれていたのです。
この状況に変革をもたらしたのが、ムーアの友人、
カーバー・ミードとゼロックスで働いていたリン・コンウェイです。
この2人は半導体設計の標準化を試み、
ついには図面設計の自動化を成し遂げたのです。
コンウェイとミードは数学的な「設計規則」を定めることで、
プログラミングによる半導体設計を実現して、
手作業による設計を不要にしました。
これによりライブラリから部品を選び、
それらを並べて図面を描くことができるようになりました。
ミードは一連の発明を、グーテンベルクの活版印刷の発明に例えました。
活版印刷の発明では、作家は執筆、印刷業者は印刷に専念できる様になりました。
ミードらの発明によって、集積回路の設計者は定規と色鉛筆による作業を捨て、
ライブラリから部品を並べることに頭を使い、
プログラミングに専念することが出来る様になったのです。
この、「ミードとコンウェイの革命」を米国防総省のDARPAと、
半導体産業が支援して、半導体設計用のソフトウェアツールを開発しました。
今現在、全ての半導体メーカーがこのときに完成した、
半導体設計ソフトウェアツールを使用しています。
TSMC爆誕
1985年、台湾の半導体リーダーとして、後のTSMCの創業者、
「モリス・チャン」が雇い入れられました。
余談ですが、1985年はNASDAQ100株価指数が、
算出され始めた年に相当します。
ハイテクの未来は、まさにこの時に始まったのですね!
他の産業より早くグローバル化した半導体産業において、
アジアは主に半導体チップができあがってから、
テストや組み立てを行う、後工程と呼ばれるプロセスを行いました。
しかし、半導体ビジネスのうまみは、半導体作製にあり、
収益はその部分を担う企業が貰っていきます。
この産業を自国のモノにしたいという台湾の思惑と、
文化大革命による遅れを取り戻し、
世界経済に溶け込もうと必死だった中国の脅威もあり、
台湾には思い切った投資をする意欲と必要性がありました。
そして半導体の設計と製造を切り離すという、
全く新しいビジネスモデルを実現させるため、
モリス・チャン率いる「TSMC」が誕生したのです。
半導体の設計は一切行わずに、製造に専念することで、
設計会社からの信頼を高め、製造能力では他社の追随を許しませんでした。
このビジネスモデルが成立したのも「ミードとコンウェイの革命」のおかげです。
グーテンベルクの活版印刷が作家と印刷業者を切り離した様に、
半導体においても、設計会社と製造会社が分離されたのです。
半導体の製造に特化するTSMCの登場により、
半導体を設計する企業は、より緻密、微細な集積回路を設計し、
ムーアの予測を達成し続けていました。
リソグラフィ戦争
「ミードとコンウェイの革命」によって、
半導体の設計と製造が分離されたことで、
事業に専念できる様になりました。
結果として、設計、製造、それぞれのレベルは、
格段に引き上げられていったのです。
量産化、微細化、で次の課題となったのは、
新しいリソグラフィのプロセス開発です。
リソグラフィはシリコンウェハ上に集積回路を描くための技術ですが、
より細かく描くには、より細い筆が必要です。
科学の言葉で言うのならば、より短い波長の光が必要だったのです。
1990年代になると、248ナノメートルや
193ナノメートルの深紫外線を使った装置が存在しました。
しかし、それよりさらに波長の短い、
13.5ナノメートルの「極端紫外線(EUV)」の開発が必要になったのです。
その中心となった会社というのが、
オランダのフィリップスからスピンオフによって生まれたASMLです。
当時のリソグラフィの競合としては、キャノンやニコンといった、
日系企業が存在しました。
しかし、日米貿易摩擦の影響もあり、アメリカはASMLを優遇しました。
ASMLだけに米国の最先端研究へのアクセスを許可したのです。
この流れの中で、日系企業は退場することを判断し、
ASMLがEVU装置の開発を進める、
世界で唯一の企業となっていったのです。
また、フィリップスがTSMCへと大規模な投資を行い、
そのTSMCにASMLのリソグラフィ装置が導入されました。
ここから、ASML、TSMCの躍進が始まったのです。
結果的には、シリコンバレーの中核的な技術は、
オフショアリングされることとなり、
リソグラフィーと製造という重要なポイントを、
それぞれ海外の一社が独占する方向へと舵を切っていったのです。
今回の記事は以上です。
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